Orange County Buddhist Church

水と人生

水は、人生に真に大切なものである。もし、水がなかったら地上に生物が生存する事が出来ない。

水は、一切のものを生かしてゆく生命の親である。水は、生命の親として大きな役割をしているが、誠に純にして従順である。

水は、決して高い所に止まらない。低い所へ行く。

水は、円い器に入れれば円くなり、四角の器に入れれば四角になる。少しもがんばらない。誠に素直である。

しかも水は、何時も水としてその性質を変えることなく水の生命を生かしている。

我々はその水の如く一切を生かし、柔軟にして従順でありたい。

水は、その環境によってその形、そのありかたを変化して行く。

従順な柔らかい形のない水は、一方に於いてまた、まことに強い力を持っている。

軒から落ちる雨だれは、堅い石にも穴をうがつのである。

また、水は大地にどこどこまでもしみ込み堅いものの中にも入って行く強い力を持っている。その辛抱強い徹底する力は、何物も及ばないのである。

我々は、水の如く強くありたいものである。

水は、高きより落ちる、時には滝となって美しい。静かな池の水は、その静かさによって美しい。波は、波で一度岩にあたれば玉となって散って美しい。

水は、執着することなくその時その時に「随所に主となる」の経句の如く所に従って主となりそこに生きるのである。

我々もまた、水の如くさらさら流れ執着することなく随所に主となり、その時その時に力いっぱい生きたいものである。

水は、よく我々の乾きを癒してくれる。

水は甘くもなく苦くもない。また、すっぱくもない。味のないところに永遠に飽くことなく美しい味を持っている。

水は、よく我々の汚いものを洗い落としてくれる。

水は、どこにあっても平凡な存在である。

しかし、その水は一切を生かさなくてはならない無比の存在である。

水は、仏の相を現している。

私は、水の如くありたい。また、水の如く生きたい。

 今月号は、シカゴ仏教会の久保瀬暁明師が「願慧」という会報に載せられましたものを転記し、皆さまと一緒に味あわせていただきました。

                                                          合掌    宮 地

Top of Page