Orange County Buddhist Church

根本「苦」

 先般、ある雑誌を読んでいましたら、次のようなお話が掲載されていました。

ある調査で「サラリーマンが職場で年を感じるときはどんなときですか?」

主な回答は次のようなものでした。

   一、                ドッコイショが口に出るとき。
二、                   こまかい字が見えにくくなったとき。
三、                   身体が冷え性で、足などがいつも冷たく感じるとき。
四、                  
人の名前をすぐに忘れるとき。
五、                  
知っている歌がテレビ・ラジオから聞かれなくなったとき。
六、                  
昔は良かったなぁーと、呟くとき。
七、                  
若い人の言葉や会話が理解出来ないとき。
八、                  
人と交わるより一人の方がよいとき。
九、                  
話題が「健康」「保険」「薬」「医者」「孫」が主になっているとき。

この調査の対象年齢は、四十才から五〇才の会社員などを対象にしたものだそうです。

あなたも思いあたりませんか?

年を重ねることは、誰しも好みません。しかし、これらの答えが一つでも思い当たったり、「あたりまえ」「当然そうなるもの」と心の中で思う人は、精神的にも肉体的にも、七〇才を過ぎているのだそうです。

最近、引退者問題・高齢者社会が日本でも、このアメリカでも大きな問題となっています。

これらの問題に対して正しい「解決法」があるでしょうか? 新聞やテレビなどの答はごく一般的で、この私には当てはまらない解答が多いように思われますが‥。

さて、ご法話に入りましょう。

仏教では、人生には必ず「生・老・病・死」があり、それが人間の根本「苦」であると教えてくれています。

釈尊のみ教えは、これらの根本苦はさけることは出来ない。また、この四苦の他に、

愛別離苦(愛する人との別れ)
怨憎会苦(恨む、憎む人と出会う)
求不得苦(ほしいものが得られない)
五陰盛苦(精神と肉体からの苦)

の四つの苦を併せて「四苦八苦」と我々はよく申します。

私は、この四苦八苦の根底に流れている我々の苦には「淋しさ、孤独」という苦があると思います。

私たちは時には、この「淋しさ」から逃れるために、色々と気をまぎらわす「もの」を毎日のように求めます。

それがテレビ・ビデオ・ラジオ・読み物などのメディア的なものから、旅行・人の集まり等、我々はその他色々と心を淋しさからそらそうとします。

また、人の悪口や、ものごとの批判にも向けられます。

日本の著名な作家、邦光史郎さんがこう書いておられます。

 「百歳に近い女性が自殺した。百歳という高齢で自殺という行為、その理由が淋しさにたえかねてというのでいぶかる人が多かった。

子供が六人、孫が十人、ひ孫が六十人、一家眷属に取り囲まれた幸せな長寿の日々であろうと思うが、結局弧老ということになるのではないか。

知っていた近隣の人たちは死んでしまう、周囲の人や事物になじめない、幼友たちなど一人もいない、友人親族を含めた同世代の人がすっかりいなくなって自分だけがポツンと取り残される。ということは、この上もない淋しさがあるのであろう」と結んでおられる。

しかし、これだけなら理解だけであって同じ悩みをもつ人々の解決にはならないように思われます。

ここにきて「仏さま」一緒の世界が大きな支えになるのです。

お念仏の世界とは「一如」すなわち、私は明るい、あたたかい仏さまの世界にいるという安心の世界があることを忘れてはならないのです。

合掌 宮地 彰雄

March 2008

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